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上村さん4位 [2010年02月15日(月)]
バンクーバー・冬期オリンピックの季節が始まった。
メダルを取れるもよし、届かないもまた佳し・・・スポーツ選手達の懸命の頑張りに拍手を送ってゆこう。

モーグルの上村さんが、今回は4位だった。4回もオリンピックに出場して、出てくるたびに順位を上げてゆくなんて・・・実に偉い!えらいぞ、よくやった。
私もこのようでありたい・・・・


拍手拍手拍手拍手

メダルに届かなくて残念なのはたしかにその通りなのだが、メダルの話は、届いた人を誉めるときだけにしてくれ・・・・

「残念」という視点が中心になっている記事をみると・・・なぜか「きつねとぶどう」の話を思い出す。(まったく関係ないけど)・・・・気持ちが「負け狐」と言うか・・・

福音書(さらに) [2010年02月07日(日)]
judasgospel.jpg本欠落している箇所も多く、謎に満ちている。
とにかく難解!
まるで、禅問答の様でもある。
しかし、生命の永遠性や、宇宙の事や・・・何やら高度で難しい話題を・・・・
イエスとユダが話している。

そんな書物。

難しいぞ〜〜


「原典」とは言っても、これ以上古いものが見つかっていない「写本」なんだろうけどね。

この本を売っているところは、たとえばここ
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/493145061X/ref=ord_cart_shr

この福音書が発見されてから、解読までのドキュメンタリーを映像化したDVDも出ています。
こんな感じで・・・これがまためちゃ面白い!

「沈黙のセレナード」再び [2010年02月02日(火)]
swr2.jpg音符コルンゴルト作曲の「沈黙のセレナード」はまだ全曲版はDVDもCDも発売されていない。そのためどうしても聴きたくなって昨年スイスの公演を見てきた。昨年秋にはドイツ公演の映像が一部抜粋でYouTUBEにアップされた。このブログでも紹介した通りだ。
さて、そのドイツのフライブルグでの公演の模様が全曲、インターネット・ラジオで放送されるようだ。まだCDも発売されていないこの曲の全曲を聴くまたとないチャンスなのだ。

放送されるウエブサイトはコチラ
http://www.swr.de/swr2/programm/-/id=661104/1rcmvqp/index.html
このサイトに入ったら、右上のカレンダーから2月21日の日付をクリックする、そして番組表の一番下の「夜の時間帯」のところをクリックし、すると、コルンゴルトの沈黙のセレナードをやるとの番組予定が確認できる。
左側に有るスピーカーのマークのところをクリックすると、プレーヤーウインドウが開き、プレーヤー・ウインドウの右下のほうに有る「プレーヤー・スタート」の文字をクリックすれば音が鳴りだす。(もちろん、その時間帯に放送されている番組が・・・)

コルンゴルトが聴けるのは日本時間で2月22日朝4時なので、頑張って夜更かしするか・・・いや頑張って早起きするか・・・・やっぱりタイマー録音しかけておこうかな。

インターネット・ラジオはイギリスのものやフランスのものもたまに聴くが、よく聴くのは
日本のものです。TBS系のクラシック音楽インターネット・ラジオはこちら
http://ottava.jp/index.html

小松原さん [2010年02月01日(月)]
ongakuten.jpg音符1月30日の夜、今年も「日本の音楽展」で私の曲が演奏された。
この演奏会は演奏家たちが主体のコンサートで、取り上げる曲が日本人の作品と決まっている。このようなコンサートが32年も続いているということは、日本人作曲家にとって実に有難いことである。
最終日の夜はパーティー・・・そこで、小松原沙織さんという作曲家とお知り合いになった。この方は「Ame;Ribon」というデュエットグループでも活動しているということで、曲を聴かせてくれた。MySpaceのサイトを紹介しておこう。
http://www.myspace.com/ameribbon
なかなか、よい曲ではないか。少なくとも私の生徒の中にはいないタイプの才能である。将来に期待したい。

(ここからは、個人的なたわごとなのでスルーして下さって結構です)
小松原さんという名前を聞くと、あるおばさんの顔が浮かんでくる。もうかなり昔の記憶だからおぼろげなのだが、目元のはっきりした気さくでしっかりもののおばさんだった。フラメンコ舞踊家の小松原康子さんと同じ苗字なので思い出しやすかったのだが・・・このおばさんは誰かというと、私が若いころピアノの家庭教師にうかがっていたお嬢さんの母親だ。そのお嬢さんはたしか・・・クラシックバレーを習っていて、背筋がいつもピシッとまっすぐに決まっている姿勢のよいお嬢さんだった。私は学生時代バレエ学校の伴奏ピアニストのアルバイトをしていたので、その関係で「ピアノを習いたい」と、家庭教師を頼まれたのではなかったかな・・・と記憶している。高田馬場から歩いてほどないところのマンションにピアノの家庭教師に通っていた・・・
小松原という苗字からふと、そんな昔の記憶がよみがえってきたのだ。(ずーーっと忘れていた)当時の私はまだイケ面(自分で言うな)の独身、ピアノを習うお嬢さんはスタイルのよい美人・・・これでは、お母さんとしても目を光らさないわけには行かなかったことだろう。目元の鋭いおばさんの顔の印象だけが思い出される。いやいや、気さくでよいおばさんでしたよ。

もう、どうにもとまらない [2010年01月28日(木)]
maria.jpg音符昔の山本リンダの歌じゃないけれど・・・・
「トマスの福音書」に始まり、初期キリスト教に関する研究書を読み始めて、面白くて・・・・びっくり、第3冊目、第4冊目と購入し続けている。

マービン・マイヤー著の「イエスが愛した聖女」は「マグダラのマリアによる福音書」などを中心に、イエスの弟子として活躍したらしいマグダラのマリアについて書かれている。イエスが死んだ後、悲しむ弟子たちを「イエスの魂は永遠なのだから、みな頑張ろう」と励ましたという。まことに優秀な弟子だったようだ。
正統派キリスト教会の言い分では、マグダラのマリアというのは、「もと娼婦」がイエスによって改心して弟子になったということであるが・・・・
鶴ちゃんはキリスト教の信仰者ではないので、教会の言い分を丸ごと信ずる立場にはない。「このように考えなければいけない」という枷が無い分、自由に想像力をめぐらせて読むことができ、読んでいて実に楽しい!。
女性が指導者の立場に立つことにどうしても抵抗のある人々は、「もと娼婦」説のほうに傾いていったのだろうか?

bible.jpg本バート・D・アーマン著の」「捏造された聖書」は、まだ読み始めたばかりだ。かなり刺激的なタイトルの本だがこれも「研究書」である。
そもそも新約聖書はイエスの死後数十年後に始まり400年近くかけて今日のかたちになったというもので、考古学的意味においては「唯一の正しい正典(書かれたもの)」など存在しないのだ。
したがって古文書の研究者としてあるべき立場は、キリスト教信者のように「教会の言うことを唯一の正しい話として聞く」のではない。ラディカルに、残された古文書を分析するのである。

そのような立場で分析していると、さまざまな「矛盾」や「不明な点」だらけなのである。
いわゆる正統派キリスト教の言い分が唯一の正しい教えである証拠など(そうでない証拠も含めて)どこにも無い。

では、いったい何が本当の「真実の教え」であったのだろうか?
ミステリアスで、わくわくする興味深い題材なのだ。

鶴ちゃんの「原始キリスト教研究」は、まだしばらく続きそうなのである。

「イエスが愛した聖女」を売っているのはたとえばこちら

「捏造された聖書」を売っているのはたとえばこちら

権威と信仰 [2010年01月24日(日)]
nughamadi_m.jpg本「トマスによる福音書」に続いて、初期キリスト教に関する本を読んだ。20世紀になって発見された古文書を手がかりに、イエス死後200年〜400年にわたるキリスト教各宗派の宗教論争がどのようなものであったかを研究したその内容を紹介している本である。「ナグ・ハマディ」とは、その古文書の発見された土地の名前だ。そして発見された古文書の内容は、(現代に続いている)キリスト教正統派から「異端」と決めつけられたものばかりである。
著者のペイゲルス女史はキリスト教徒であるが、研究者として、正統派の側に立つのでも、異端とされた「グノーシス主義者」の側に立つのでもなく、両者の言い分をそれぞれ理解を込めて紹介している。あくまでも中立的なのだ。
しかしこの本を読む人は、それぞれの立場で異なる印象を受けるのかもしれない。

キリスト教部外者である鶴ちゃんとしては、初期キリスト教に関する事がよくわかったような気がしている。印象としては、「教会の権威を否定する側が負けて、秩序を主張する側が勝ち〜教会の権威の確立に成功した」というものだ、正統派は、正統争いに勝つ事でその後「異端」を徹底的に排除し、「異端文書」も徹底的に消滅させた・・・と思われていた。「ナグ・ハマディ文書」が発見されるまでは。

「イエスと同じように、考え・行動し・体験〜気づき(グノーシス)さえすれば、誰でもイエスと同じようになれる」と信じていたキリスト教信者たちは、「異端者」として歴史の彼方に葬り去られ、「イエスは特別な存在であり、神やイエスの事を人々に教える事の出来るのは教会〜司教・司祭だけである」というキリスト教がローマ皇帝の庇護のもとに(唯一の)正統なキリスト教となった。

キリスト教社会に於いては、教会や司教・司祭の権威は絶対的なもので、それに疑問を投げかけたり異を唱えたりすれば、異端者として葬り去られるのである。
「心に疑問を感じてもそれをぐっと押さえ込み、名に喰わぬ顔で信じている振りをしている」ことが、キリスト教社会では必要なのだ。それが自分の身や社会の秩序を護る事になる。


・・・・なるほど・・・
あの「裸の王様」の童話も、もしかしたら王様の権威を揶揄する為に書かれたというよりも、教会の権威を暗に揶揄したかったのかもしれないな・・・と、思えてきた。

今日でもいろいろな形で「権威」というものが存在し、疑問や反発をぐっと飲み込む「沈黙」によって、その権威が保ち続けられていることだろう。
権威に反旗を掲げる事は勇気の要る事では有る。

「ナグ・ハマディ写本」を売っているところは例えばコチラ

華麗な交響詩 [2010年01月16日(土)]
karlowicz_1m.jpg

音符ポーランドの作曲家、カルロヴィチとか言う人の交響詩を聴いている。
詳しくはウィキペディアの解説文を読んで欲しいが、R.シュトラウスよりも12年後に生まれており、コルンゴルトよりは21年ほど早く生まれている事になる。作品12の「「オシヴィエンチモフ夫妻、スタニスワフとアンナ」というタイトルの交響詩の冒頭を、Amazonのサンプルで聞いて、矢も盾もたまらず購入してしまった。その響きが、鶴ちゃんの大好きなコルンゴルトの響きにとても良く似ていたからである。CDもいくつか発売されているようなので、順次購入して聴いてゆこうと思っているが、なかなか素敵なオーケストラの響きはクラシック好きの方にお薦め!

サンプルを聴くならこちら

ウィキペディアの解説文はこちら

謹賀新年 [2010年01月01日(金)]
nenga.jpgm(__)m
皆様あけましておめでとうございます。
昨年はコルンゴルトのミュージカルを観るために、雪のスイスへ旅行・・・
今年行ってみたいところは、イタリアのサルディニア島、それにアルゼンチン・・・
え、単なる願望で行けるアテはありませんが・・悲しい
上記のどちらも、コルンゴルトの2作目のオペラ「ヴィオランタ」の公演予定があるのです。
昨年スイスで観てきた、コルンゴルトのミュージカル「沈黙のセレナーデ」のCDは今年中に発売の予定です。楽しみ。

あ、私の作曲の新作の発表は・・・まだ未定・・・いつになるのでしょう?ウインク

福音書 [2009年12月31日(木)]
thoams_m.jpg本学生時代、作曲の勉強をしていて「バッハの音楽を本当に理解するには、キリスト教の事も知らなければ駄目だ」と思い「イエスの生涯」などという本を読んだ記憶がある。別にクリスチャンになった訳ではない。
今また、ひょんな巡り合わせから「トマスによる福音書」というのを読み始めた。以前読んでみたいと思っていたものだ。クリスチャンの方ならもうお分かりと思うが、この「トマスによる福音書」というのは、現在の正統派のキリスト教会からは「異端の書」と呼ばれている。その中に書かれている「イエスはこう語った・・・」という話も、偽作なのでクリスチャンは信じてはならないものとされる。・・・しかし私はクリスチャンではない。
以前から読んでみたいと思っていた話がそこには載っていた。「天国は空の高くにあると教える人がいるかもしれない、しかしそれなら鳥のほうが早く天国に行けるだろう。天国が海にあるという人がいるかもしれない、しかしそれなら魚のほうが早く天国に行けるだろう。・・・そうではなく、天国はあなた自身の中にあるのだ」・・・うん、これ!前から読んでみたいと思っていたお話だ。その続きは「あなた自身を知れば、あなたは父(神様)の子と気づくだろう。あなたが自身の事を知らなければあなたは貧困である」などなど・・・
T〜2世紀当時、「グノーシス主義」と呼ばれるキリスト教徒(?)が多く存在したらしく、そこでは「イエスが神の子であるように、すべての人が本来『神の子』である(が、それに気づいていない)」という考え方が根底に有ったという。しかし、ヨハネらは「イエスは特別な存在であり、神の子はイエスただ一人である」という考え方に立っていて、両派の間に対立が有ったらしい。やがて、教会の権威や位階制度に疑問を持つグノーシス主義者たちの勢力が3〜4世紀には弱まってゆき、ヨハネの主張した考え方の勢力が主流となっていった。教会もその権威を確立する事に成功して・・・それ以後今日に至るキリスト教勢力となった。ふむふむ。
やはり鶴ちゃんは、教会から「異端」と決めつけられた勢力の中にどのような考え方があったのか、どんな「イエスの言葉」が伝えられていたのか・・・の方に興味があるなあ。

しかし読み始めて、日本語訳にもよくわからない単語が出て来て困った。「過越の祭」と訳されているが何の事か判らない。そこで読むのを一旦やめてネットで調べてみた。どうやらキリスト以前から伝わるユダヤ教の祭だという事が判ってきた、そして「過越」のもとの言葉は「PassOver」・・・あれれ、コルンゴルトの曲に「Passover Psalm OP.30」というのが有ったな!音符。と、意外なところでまたもコルンゴルト漬けになる(?)鶴ちゃんなのであった。

グノーシス主義についての解説ページはたとえばこちら

皆様、2009年はいろいろお世話になり有り難うございました。
2010年もどうぞよろしくお願いします。

日本の教育 [2009年12月20日(日)]
gclark_mjpg.jpg本グレゴリー・クラーク著「なぜ日本の教育は変わらないのですか?」を読んだ。2003年の出版なので現場から見るともう古いと思う部分もあるものの、書かれている通りの現実が今も続いていると思うと、今でも大いに参考になるところの多い本と言えると思う。
GPA制度など、この本で推奨されている大学改革の手段のいくつかはすでに現場でも取り入れられていて・・・そしてすでに骨抜きに形骸化していることを、現場の人間として嘆かわしく感ずる。制度や人の心はかんたんには変らないものだ。今回の政権交代を受けて少しは大きく変わってくれる部分も有って欲しいとは思うが、事は簡単ではない。

著者が力説している事の中で、私自身も今まで力説してきた事が有る。それは、「青少年の教育は親と学校の先生だけでは出来ない」という事だ、今の子供達は生活の大半の時間は親と学校の先生という2種類の大人としか接していない。わたしは、親や学校の先生以外のさまざまな大人から子供達は多くを学ぶべきだと思っている。そのような場をどうして作れば良いだろうか?中学校や高校の現場ではすでにそういった方向性でのさまざまな試みがなされている例がある事も知っているが、それらはおそらくまだほんの一握りの例外的な事例に過ぎない。

「世の中全体で子供を育ててゆくという考えが大切だ」と、今の政府が言っている事を、どう実現して欲しいか?わたしは、就職活動で大学3〜4年生が四苦八苦している現状を見ると、学校の教育とは別に「社会教育」を中学生や高校生世代の子供達にもっともっとなすべきだと思う。文部科学省だけではなく「経済産業省」「厚生労働省」「国土交通省」なども(そして大人の誰もが)、青少年の教育に責任を持って取り組むべきだと思うのである。
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